なぜ勉強するのか②
今小学生のビジュアルプログラミングに携わっています。
感覚はなんとなく身についても、感性は磨かれない。僕が今プログラミング教育に抱いていることです。
ツールという閉ざされた空間だからです。論理的な感覚は身につけることは出来ると思います。ただ、それは、あくまでも思考そのものではなく、補助的なものに過ぎないと思います。
補助じゃなこったらこまりますよね(笑)論理的な思考は効率的で合理的な思考の依存へ向かうという想像は容易です。非効率なものを受け止めにくくなるようなイメージです。
ただ、国語が苦手、説明が苦手、一部の子どもには現状のプログラミング的思考教育ツールは合っている場合もあります。そうだとしても、教える側の見守りと舵取りは欠かせないと思いますが。
そういった学習そのものの転換を考える時代の流れの中で、何よりも必要なことは、親が感性の伸び代をいかに広げてあげられるかだと思います。
閉ざされた空間とは真逆の環境を子どもたちにめいいっぱい与えることが最も肝心なことではないでしょうか。たとえば、自然の中で好きに遊ばせることなど。
楽しいかどうか、社会の流れだから、
そういうフワッとしたものから距離をおき、子どもに本当に豊かに生きてもらうための工夫をすることが親や大人の責任、そして本人にもその力をつけてもらうことが勉強の必要である理由だと思ったのでした。
茶昊