ハンコ文化
とあるニュース番組のインタビューでは、そもそも承認などのプロセスの中で本当にハンコが必要かどうかという本質的な問題に焦点が当たることが重要だと述べる方がいた。もっともなことだと思う。
ただ、そうして問題の本質を探し出せたとして、最終的に残すべき重要な文書こそハンコではなく、電子化と高度なセキュリティ、ブロックチェーンなどで保管されるべきなのではという声が出てもおかしくない気もする。
どちらにしても、菅政権が省庁のハンコ文化に本格的に切り込むことになり、それが一般企業にも普及すれば、業務に必要なハンコは無くなってしまうかもしれない。
そんな流れを感じる一方で、人間が生み出す無駄の妙や、芸術的「間」の文化的産物としてのハンコ文化は残っていく可能性があると個人的には思った。
ここ最近、昭和歌謡曲が若い世代によって再フォーカスされている。一期一会の重み、伝えられない感情、人間関係、趣深さ。人間性、情景やストーリーが文化の肝なのだと改めて考えさせられる。
SNSやネットの発達によって効率化、利便性が優先された人間関係が気薄な時代はおわり、今度はその利便性を活用しながらも、本質的に大切なことや美しいものは何かを見直す時代に入っていく気配がする。
肝心なのは人間くささや情緒の部分であると見直す流れ、それがこれからの文化を創造する起点になるような気もしてきた。
そういう観点からも、ハンコ文化は、「楽しむもの」「相手を想い、喜ばせるもの」「価値を共有するもの」のような形で残っていけるかもしれない。こどもの、よくできましたハンコとか、ああいうのも残って良い気がする。
例えば、婚姻届を出す際は、家紋みたいにデザインした記念ハンコを作る。それを届出に印鑑の代わりに押すこともできるし、人生の岐路の想い出の形として残すこともできる。
とか。
茶昊