頑張ること
1月ってなんでこんなに終わるの早いんですか?
毎年思うけどほんとあっという間!
このひと月何してたっけ?こんな感じでまた1年過ぎるのかしら…と思って考えたことにちょっとばかしお付き合いください。
かつて日本人は真面目で勤勉と言われていました。
昨今はそうでも無いとも言われますが
みんなこのしっちゃかめっちゃかな世の中を頑張って生きてると思うんですよ。
では「頑張る」こととはなんでしょう。
昔の深森は「苦労は買ってでもしろ」を地で行っていました。
「苦労した方が身につくんだ。」
「苦しんだ分は必ず糧になるんだ。」
と、信じ込んでいた。
それはそうかもしれないけど、そうすると、大して苦労せずに同じ道にいる人を許せなくなる自分が居た。
「どうして自分はこんなに苦労しているのに周りの人は飄々としているのか。」
もちろん、表面的に飄々としているだけで実際そんなことは無いのかもしれないし
あるいは本当に余裕があるのかもしれない。
しかし要はそこでは無い。
世の中は残念ながら平等ではないし、個人の環境や能力の差は当然の事ながらある。
でも、それぞれ目指すところは違うはずで、目的や目標が個々にあるはずだ。
だから、横を見比べて自分は頑張っているとかいないとか、テストの点数や偏差値で測ることで自身や他人を決めつけることなんて愚かしいのだと思う(やりがちだけど)。
しかし、とりわけ学校やその学校のような文化を引きずる社会においてはそのように評価されがちだ。
なぜなら数字というのは分かりやすいし、標準化して分かりやすく比較することが目的でもあるからだ。分かりやすいから使いがちだけど、でも、必ずしも数字は全てでは無い。
物事は全て定量的には測りきれない定性的な部分があって、そこは分かりにくく見落としがちだ。
そして数字は、分かりやすいけど点だけで見てもあまり意味が無い。
線で結んでいった時に初めて意味が生まれる。
横を見て、点と点を比較するより、例えば過去の自分との線を比較できる方が意味を持つでしょう。
偏差値という横の縛りに振り回されない、自分だけの軸を持ちたいと思う。
話が逸れました。
結論、「頑張る」の定義は個々にある。
だからまわりと比較しなくていい。
焦ったりバタバタしなくていい。
そしてここからは個人的に思う定義になるんですが、「頑張る」≒「継続」ではないかと思うのです。
継続は力なり。
継続こそ1番の力なり。
そして自分の軸を、線を追いかけるために必要なことは
楽しんで続ける力だと思うのです。
とするならば、めちゃくちゃ苦労したり、我慢することと「継続」はあまり紐付かないように思う。
継続出来るなら過度な苦労も我慢も必須ではないと思うし、長時間労働もマストじゃない。
そもそも継続するのに常に100%を出し続けていたら、仮にロボットだったとしても壊れてメンテナンス状態になるだろう。
いわんや人間をや、です。
しかし、苦労も我慢も必須ではないんだけども、真剣さは必要だと思う。
何かを成すなら真剣に考え抜き、真剣に向き合い、そして継続すること。
真剣にやったことは必ず何らかの形で返ってくる。
さらに継続できることで自分の自信にも繋がります。
さて、最後に問題です。
継続にはもうひとつ、もの凄くいい効果があるんですが、それはなんだと思いますか?
そんなことを考えつつまた来週!
分かってても継続できない深森の話はこちら↓
https://case30s.hatenablog.com/entry/2022/01/22/205358
深森