Case30s

同年代の方々と考えを共有したり、互いに考えを深めていきたい。そんな想いで曜日で手分けしてブログを書いています。深森(土)、流清(休筆中)、茶昊(水)が運営しています。間違った情報の指摘や記事に対してのコメント、大歓迎です!リンク先は右下のプロフィールからどうぞ。

やだ!!

 

 

 

 

「私だって遊びたい!でも、宿題が終わらない。。。(涙目)」

 

 

 

「よく頑張ってるね。全部終えてから遊ぼうとしていて、えらいよ。」

 

 

 

「やだ!遊びたい、お迎え来ちゃう。。。(号泣)」

 

 

 

「手伝うから、見せてごらん。・・・合ってる、合ってる、全部合ってるよ。遊ぶ時間、残りそうじゃない?」

 

 

 

「やだ!!」

 

 

 

 

遊びたい、でも宿題はやらなきゃ、心の葛藤が内から外へと溢れだす。そして、なぜか僕を睨みつけてくる。

 

真面目でひたむきなのはわかっていたが、彼女がこんなにも涙を流し、もがきながら頑張っているのは何か訳があると思いつつも、お迎えがくるまでわからなかった。

 

 

 

 

そうこうするうちに、お母さんが迎えに来ると、

「泣きながら頑張ってたってママに言って。」と耳打ち。

 

 

言われるがままに、

 

「一生懸命頑張ってました。泣くほどに。計算なんかとても早く正確に解いていましたよ。」

 

と伝えると、

 

 

「計算が遅いので、早く解きなさいって昨日言ったんです。」

 

 

 

・・・もがきの理由発見。笑

期待に応えようと必死だったんだな。

 

 

 

 

親や身近な大人の一言は、子供の心の奥に留まる。

それを消化するために、必死になることで、子供は次のステージへ上がっていくのだろう。

 

ただ、その一言には呪縛の側面がある。その一言の呪縛から解放されているか、いないか、それを見守ることは大人の責務ではないだろうか。

そして、いつか、子どもがその一言を完全消化した日には、自立をするときなのだろうと思う。

 

 

 

親の一言の重みを感じた一幕だった。

 

 

 

他の子たちの遊びに僕がかまっているのを見て苛立ち、もがき苦しみながら、最後までやり遂げたあとに遊んだときの満面の笑み。

また成長の一端を見ることができて、今日も満足。

 

 

 

茶昊