純粋
僕は純粋なものに惹かれます。
子どもが1番わかりやすい純粋な存在です。子どもがすることの大抵のことは許せます。その心底には悪意がないからです。悪意に似たものを他の原因で引き起こしてるのだとイメージして一旦受けとめます。躾は別の視点が必要だと思いますが。
逆に大人がすることで許せないことはたたあります。大抵、純粋じゃないからです。(言い切る笑)
子どものために努力や時間、エネルギーを惜しまない本物を見てきたことで、より一層そういうことを考えてしまいます。ですから、許せる大人の基準として、静かに子どものことを心も身体も尽くして考えて動いているということが思い浮かびます。
子どもは自由ではなく、大人による不自由に晒されています。
感情の起伏、考え、時間、エネルギー、振る舞い、言動、コントロール、世界観、哲学、それらを無意識にも大人は自分という小さな世界を子どもにぶつけています。だから、大人はその小さな世界を打破する責任があります。
その課題を果たしていくことが僕の1つの大きな目標です。どんな場所であれ、どんな環境であれ、どんな歳であれ、どんな体調であれ、何年かかろうと、死ぬまでそれは果たせたらいいな。それができないのであれば、いまの生き方は間違っているのかもしれません。
打破しなくても生きてはいけます。ただ、子どもたちにはどこかのタイミングで色々見抜かれますね。笑
茶昊