Case30s

同年代の方々と考えを共有したり、互いに考えを深めていきたい。そんな想いで曜日で手分けしてブログを書いています。深森(土)、流清(休筆中)、茶昊(水)が運営しています。間違った情報の指摘や記事に対してのコメント、大歓迎です!リンク先は右下のプロフィールからどうぞ。

蓋然性

 

 

深森さんの言う通り、地方へ移住したり、生活環境をガラリと変えることで、精神的にも生活的にも救われる人もいるかもしれません。

 


ただ、地方へ行ったとしても快適に過ごせるかは別であるという問題提起を深森さんがしてくれています。

 

 

 

選択の自由、可能性は無限大。その言葉に気持ちを鼓舞される人もいると思います。僕もそういう時はありました。しかし、それは栄養ドリンクのように一時的に興奮状態にするきっかけでしかないと今は考えています。

 


可能性という言葉は、1か0かというハッキリした考えです。起こりうるか、起こらないか。1%でも起こりうるのであれば可能性はあることになります。

 


可能性と似た言葉で蓋然性という言葉がありますが、蓋然性は、可能性と違って高低の考えに基づきます。物事や、自分にとってそれが起きる確率、合う確率、度合いの高低です。

 


例えば、アイスクリームを冷蔵庫から出して放置します。5分後に溶け切ってしまう蓋然性は低いですよね。逆に1時間後は高くなります。真夏日であればさらに高くなりますよね。

 

 

 

冒頭の話に戻りますが、自分が移住して幸せに暮らせるかどうかは、どう考えた方がいいでしょうか。

 


このコロナの影響が波及する状況下。可能性で言えば、あるでしょう。でも、蓋然性としてはどうでしょうか。

 


現状を踏まえた最適な選択肢としての移住。それが自分や家族に合っているかどうかの蓋然性は何で推し量れば良いのでしょう。

 


移住先の生活スタイル、仕事の有無、教育環境、住居、隣人、公園、色々な要素とのマッチングが考えられます。

 


ただ、その中でも、自分や家族の軌跡や考え、性質、必要なことを理解することが1番大切な思考要素ではないかなと、ふと思ったしだいです。焦ると目先のことにとらわれてしまいそうですが、自分たちを置き去りにしないことが肝心だなと。当たり前ではありますが。笑

 


可能性をよりどころに、考えずにとびこむ、というのも良いかもしれないですが。それは大きなギャンブルです。出来る人は限られていますね。考えずに飛びこんで上手く行った人は、普段の思考の積み重ねがあったり、選択時に直感的に蓋然性を見抜いて即決したということなのだと思います。

 

 

 

茶昊